エリート女性へ。エリートのレールを外れて好きなように生きませんか?〜前編〜
2018/02/18

エリートの道を歩んできた女性。エリートのレールに乗っていることは、本当にあなたが望んでいることでしょうか?それがあなたが心の底から望んでいることならいいと思うんです。
でも、わたしは違った。エリートというラベルを貼られて生きるのは息苦しい。もっと心穏やかに、人間味のある温かい人生を送りたい。そう思って変化してきました。
自分がエリートであることを自慢したいのかいって思われるかもしれませんが、わたしはむしろ凝り固まってしまう自分を恥ずかしいと思っていました。
今回は、エリート街道を不本意ながら歩んでいる女性、エリートのレールから外れることができずに悩んでいる女性に向けて、わたしのこれまでの悩みや経験をお伝えしたいと思います。
なぜエリートになってしまったのか?
わたしは子どもの頃から優等生・エリートのレールに乗ることを望んでいたのか?今振り返ってみると、それが「唯一、自分の存在価値を確立する手段」だったのかもしれない。
わたしは三人姉妹の三女。裕福とは言えない家庭で育ちました。姉2人は勉強もスポーツも中ぐらいという感じ。私だけ優等生のラベルを貼られる存在でした。
幸いにも、うちの両親はスパルタ教育や英才教育のかけらもなかったので、両親からのプレッシャーは一切感じていなかったはず。わたしは自分の家庭の貧しさをどこか隠そうとしていたように思います。裕福な家庭の子にも負けない、塾なんか行かなくても勉強できるし。と雑草魂を燃やしていました。
つまり、社会で劣等感を感じずに生きていくために、優等生でいることが必要だと無意識に思い込んでいたのでしょう。
こうしていつしか「学業でいい成績を出すこと」「学歴を積み、有名企業に入ること」が自尊心を保つ手段となりエリートのレールに乗ることになったのです。
エリートに違和感を感じたきっかけは新卒で入った大企業
大学を卒業し「THE 安定」と思われるような大企業へ入社しました。福利厚生もバッチリ、給与水準も比較的高め。絵に描いたようなエリート街道。当時、自分がそれを望んでいたというよりも、それ以外の道を選ぶことを怖がっていただけだと思います。
でも、実際に働き始めて違和感をたくさん感じることとなりました。
年功序列、融通のきかない古い体質やルール、決まった階段式のキャリアプラン。その会社の先輩たち、マネージメント層を見ても、死んだ魚のような目をしている人ばかり。このまま必死で努力した先があの人たちのような人生なのか。
入社して2年半でその会社を辞めました。もちろん、今にも活きている経験をさせてもらった部分もありますし、お世話になった人もたくさんいます。でも、辞めようと強く思ったきっかけは、努力しても評価は変わらないという事実を知った時。
「本当はもっと良い評価をあげたいんだけど、入社1、2年目はこれって決まってるんだ」と上司に言われました。「なんだそれ」って思いましたよ。明らかに業務分担上でも私は他の人の2倍の仕事を担当していました。仕事してないおじさんたちが、わたしの倍以上のお金をもらっているのに。
でも、そこで辞めるきっかけを与えてもらって良かったと今となっては感謝です。あそこで辞めていなかったら、今のわたしはいない。そのままだったら…死んだ魚の目をしているか、プライドにまみれて荒んだ女になっていたか。
決して大企業で働くことを否定しているわけではありません。エリート女性を否定しているわけでもありません。心から望んで選んでいる、心から満たされているという人はいいと思うんです。
でもわたしは違った。エリートのレールに乗っていることは、自分の心を疲弊させていると気づき始めたんです。エリートになりたいのではない、自分の存在価値を感じたいだけなのです。
そして女性として社会で評価され男性と対等に生きていくためには、学歴や職歴で男性に劣らないことが必要だと思ってしまっていたんです。武装しないといけないと。
そんな不安や恐怖心から自分を守るために、自分の心の豊かさとは真逆の方向に進んでいたということです。
でも、今なら言える。違和感を感じたら飛び出せばいいと。
後編では、新卒で入った大企業を辞めても、まだエリートのレールを外れきれていなかった、わたしの葛藤やそこから脱出していった過程をお伝えしたいと思います。
後編はこちら→エリート女性へ告ぐ。エリートのレールを外れて好きなように生きませんか?〜後編〜